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  • 直販限定『MEMORIES OF OMIYAGE DOLLS』(文庫・PDFセット)

    ¥3,850

    都築響一(文・編) 直販限定文庫・PDFセット:3500円+税 (文庫版:104ページ、PDFダウンロード版:画像数322点) 昭和30〜50年代の観光土産人形たち 2018年に千葉佐倉の国立歴史民俗博物館で開催された「ニッポンおみやげ博物誌」は、江戸時代の参勤交代やお伊勢参りなどの影響から生まれた「おみやげ成立期」に始まり、現代のゆるきゃらやコンテンツ・ツーリズムにいたる日本人とおみやげの関係をめぐる歴史をひもといてくれた楽しく興味深い展覧会だった。その図録のなかで「大正期代から展開された民芸運動も、郷土玩具への関心も、ともに都市部において発明された概念である」という指摘がありハッとさせられた。もちろん「民芸」のもとになる庶民の日用品も、郷土の玩具も、柳宗悦や郷土史家の田中緑江らが「郷土玩具」という新たな言葉でくくるはるか以前から日常に存在していたのだが、これが都市を発端とする関心の盛り上がりによって商品としての「都市から地方への働きかけによっておみやげを生産し、流通するシステム」の成立を促したこと。さらに民芸も郷土玩具も、近代の都市部で成立した百貨店という新たな市場が地方物産の流通窓口となったと説明されていた。そういえば「松本民芸家具」とか、デパートの売り場で初めて見たというひとも多いはず。 ところでこけしは「みちのくの風土が生んだ」と言われるとおり東北地方に産地が集中してきた。僕らがいまイメージする昔ながらのこけしは「伝統こけし」と呼ばれ、いっぽうで木彫作家系の手になる「創作こけし」というジャンルがある。しかし本書に登場するおみやげこけしの数々は、そのどちらでもない、強いて言えば「観光土産人形」であり、特に東北らしさもまったくない。 日本が敗戦から高度成長期に移る1950〜60年代は、まだ海外旅行は高値の花で、国内旅行も社員旅行や修学旅行に代表されるような団体ツアーが主流だった(マイカーで個人旅行できるようになったりするのは、ずっと後のこと)。そういう時代におみやげとは、貴重な旅の体験を持ち帰り分け与えるためのものとして機能する。個人のコレクションではなく、他人のために購入するものとしての。それには「価値ある一点物」である民芸や、手の込んだ郷土玩具、大ぶりの伝統こけしなどは気分的にも、値段的にも、存在感の強さ的にもふさわしくない。 ここに収録した観光土産こけしは、ほぼすべて昭和30年代(1950年代後半)から昭和50年代(1971年代)にかけてつくられ、日本各地の観光地で売りまくられていた「ごく安価な土産物」だ。まだ深く調査できていないのだが(当時の生産者たちがもういないため)、民芸や郷土玩具とちがって、これらの観光土産人形はその土地や風土に根ざして生まれたものではない。おもに長野県、岐阜県、静岡県など木工や民芸品の産地だった地域で、地元の木工所や民芸品製造所から下請けの工房や主婦、高齢者による内職的な体制で大量生産したものを地場の民芸業者がまとめ、さらに大阪や東京の大手民芸卸商社を経、各地の観光地や温泉街に流通していったものだった。おみやげの主流が「もの」から「食べ物」になった現在でも、名前だけはその土地にちなんでいるのに中のお菓子や生産者はぜんぶ一緒、というのが多いのと一緒。ペナントや提灯、通行手形といった定番お土産とも一緒。だから集めていくうちに、人形としてはまったく同一なのに、付けられている名前だけは「信州娘」「伊豆娘」「箱根娘」「フェニックス娘」だったりと、いかにも「その土地でつくられました」感を強調している人形がずいぶんあった。 大量生産とはいえ、一見してわかるように工場で機械がどんどんつくる、というのとはちがう。あくまでひとの手による人形ではあるけれど、安価な土産物だし、いわば「裏方の仕事」ゆえ工房や作家名がそこに記されることはない。どこで、だれがつくったかもわからないまま、いっとき日本中の家庭や職場にあふれ、ホコリだらけで捨てられ、いまやヤフオクで段ボール一箱千円でも買い手が付かないという・・・。 こうした観光土産人形は日本人の旅行形態が変わっていくとともに邪魔扱いされるようになり、前述のファンシー絵みやげなどの徒花を生み出しながら、「もらってうれしいのは食べるもの」へと変わっていく。「ニッポンおみやげ博物誌」図録には最後のほうに「消えつつあるおみやげの居場所」というページがあったーー かつての多くの家庭には、ほぼ必ずおみやげを飾るスペースがあった。玄関の靴箱の上には花瓶などとともに、各地のおみやげが飾られた。和室の床の間や違い棚には、旅先で購入した焼き物や工芸品が据えられた。時には鴨居の上の長押に、様々な場所で購入された提灯が、所狭し並んでいることもあった。洋風の応接間にも、ウイスキーやブランデーなどの洋酒と食器を置く飾り棚があり、その中には、各地のおみやげが並んでいた。民芸品や郷土玩具はもちろんのこと、飾り棚に並ぶ切子のグラスや磁器のカップも、旅先の思い出を呼び起こす一品かもしれない。部屋が板壁ならば、そこにペナントやタペストリーが貼られることもあっただろう。 それが玄関先であれ床の間であれ応接間であれ、共通しているのは「家族以外の存在が家を訪れた際に使われる空間」であること。そこに並ぶおみやげは「こんなに旅行行けてます」というステイタスの誇示としても機能したろうが、現代の居住形態ではそのような「長期にわたっておみやげを飾るスペースの多くが失われつつある」ことも、観光土産人形が消え去っていく一因となった。旅行することがステイタスの誇示なんかには、まったくならなくなったのに加えて。 1956年生まれの僕ですら、家族や修学旅行先でこうした観光土産人形を見ていた記憶はない。ましてや高度経済成長期も、ファンシー絵みやげ期も、バブル期すらも知らない若い世代に、こんなに安っぽくて、はかなげで、かわいらしい人形たちはどう映るのだろうか。バンコクの市場で見つけたときも「これをどんなタイ人が買うのか!」と絶句したが、ヤフオクですらまったく競られることのない現在の日本では、もしかしたら「昭和レトロ」みたいなレッテルをつけられて生き延びていけるのだろうか。 ※PDF ブック版は、文庫版では掲載しきれなかった全コレクション322点を高解像で収録。 PDF フォーマットなので専用アプリ不要。スマホ、タブレット、デスクトップコンピュータまで、あらゆるデバイスで読み込みできます。画像は拡大可能なので、小さくてふだんは見えにくい木肌の優しさ、表情の愛らしさまで、たっぷりお楽しみください!

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  • 『MEMORIES OF OMIYAGE DOLLS』昭和30〜50年代の観光土産人形たち(POCKET ROADSIDERS)

    ¥2,420

    都築響一(文・編) 文庫版:2200円+税 104ページ 昭和30〜50年代の観光土産人形たち 2018年に千葉佐倉の国立歴史民俗博物館で開催された「ニッポンおみやげ博物誌」は、江戸時代の参勤交代やお伊勢参りなどの影響から生まれた「おみやげ成立期」に始まり、現代のゆるきゃらやコンテンツ・ツーリズムにいたる日本人とおみやげの関係をめぐる歴史をひもといてくれた楽しく興味深い展覧会だった。その図録のなかで「大正期代から展開された民芸運動も、郷土玩具への関心も、ともに都市部において発明された概念である」という指摘がありハッとさせられた。もちろん「民芸」のもとになる庶民の日用品も、郷土の玩具も、柳宗悦や郷土史家の田中緑江らが「郷土玩具」という新たな言葉でくくるはるか以前から日常に存在していたのだが、これが都市を発端とする関心の盛り上がりによって商品としての「都市から地方への働きかけによっておみやげを生産し、流通するシステム」の成立を促したこと。さらに民芸も郷土玩具も、近代の都市部で成立した百貨店という新たな市場が地方物産の流通窓口となったと説明されていた。そういえば「松本民芸家具」とか、デパートの売り場で初めて見たというひとも多いはず。 ところでこけしは「みちのくの風土が生んだ」と言われるとおり東北地方に産地が集中してきた。僕らがいまイメージする昔ながらのこけしは「伝統こけし」と呼ばれ、いっぽうで木彫作家系の手になる「創作こけし」というジャンルがある。しかし本書に登場するおみやげこけしの数々は、そのどちらでもない、強いて言えば「観光土産人形」であり、特に東北らしさもまったくない。 日本が敗戦から高度成長期に移る1950〜60年代は、まだ海外旅行は高値の花で、国内旅行も社員旅行や修学旅行に代表されるような団体ツアーが主流だった(マイカーで個人旅行できるようになったりするのは、ずっと後のこと)。そういう時代におみやげとは、貴重な旅の体験を持ち帰り分け与えるためのものとして機能する。個人のコレクションではなく、他人のために購入するものとしての。それには「価値ある一点物」である民芸や、手の込んだ郷土玩具、大ぶりの伝統こけしなどは気分的にも、値段的にも、存在感の強さ的にもふさわしくない。 ここに収録した観光土産こけしは、ほぼすべて昭和30年代(1950年代後半)から昭和50年代(1971年代)にかけてつくられ、日本各地の観光地で売りまくられていた「ごく安価な土産物」だ。まだ深く調査できていないのだが(当時の生産者たちがもういないため)、民芸や郷土玩具とちがって、これらの観光土産人形はその土地や風土に根ざして生まれたものではない。おもに長野県、岐阜県、静岡県など木工や民芸品の産地だった地域で、地元の木工所や民芸品製造所から下請けの工房や主婦、高齢者による内職的な体制で大量生産したものを地場の民芸業者がまとめ、さらに大阪や東京の大手民芸卸商社を経、各地の観光地や温泉街に流通していったものだった。おみやげの主流が「もの」から「食べ物」になった現在でも、名前だけはその土地にちなんでいるのに中のお菓子や生産者はぜんぶ一緒、というのが多いのと一緒。ペナントや提灯、通行手形といった定番お土産とも一緒。だから集めていくうちに、人形としてはまったく同一なのに、付けられている名前だけは「信州娘」「伊豆娘」「箱根娘」「フェニックス娘」だったりと、いかにも「その土地でつくられました」感を強調している人形がずいぶんあった。 大量生産とはいえ、一見してわかるように工場で機械がどんどんつくる、というのとはちがう。あくまでひとの手による人形ではあるけれど、安価な土産物だし、いわば「裏方の仕事」ゆえ工房や作家名がそこに記されることはない。どこで、だれがつくったかもわからないまま、いっとき日本中の家庭や職場にあふれ、ホコリだらけで捨てられ、いまやヤフオクで段ボール一箱千円でも買い手が付かないという・・・。 こうした観光土産人形は日本人の旅行形態が変わっていくとともに邪魔扱いされるようになり、前述のファンシー絵みやげなどの徒花を生み出しながら、「もらってうれしいのは食べるもの」へと変わっていく。「ニッポンおみやげ博物誌」図録には最後のほうに「消えつつあるおみやげの居場所」というページがあったーー かつての多くの家庭には、ほぼ必ずおみやげを飾るスペースがあった。玄関の靴箱の上には花瓶などとともに、各地のおみやげが飾られた。和室の床の間や違い棚には、旅先で購入した焼き物や工芸品が据えられた。時には鴨居の上の長押に、様々な場所で購入された提灯が、所狭し並んでいることもあった。洋風の応接間にも、ウイスキーやブランデーなどの洋酒と食器を置く飾り棚があり、その中には、各地のおみやげが並んでいた。民芸品や郷土玩具はもちろんのこと、飾り棚に並ぶ切子のグラスや磁器のカップも、旅先の思い出を呼び起こす一品かもしれない。部屋が板壁ならば、そこにペナントやタペストリーが貼られることもあっただろう。 それが玄関先であれ床の間であれ応接間であれ、共通しているのは「家族以外の存在が家を訪れた際に使われる空間」であること。そこに並ぶおみやげは「こんなに旅行行けてます」というステイタスの誇示としても機能したろうが、現代の居住形態ではそのような「長期にわたっておみやげを飾るスペースの多くが失われつつある」ことも、観光土産人形が消え去っていく一因となった。旅行することがステイタスの誇示なんかには、まったくならなくなったのに加えて。 1956年生まれの僕ですら、家族や修学旅行先でこうした観光土産人形を見ていた記憶はない。ましてや高度経済成長期も、ファンシー絵みやげ期も、バブル期すらも知らない若い世代に、こんなに安っぽくて、はかなげで、かわいらしい人形たちはどう映るのだろうか。バンコクの市場で見つけたときも「これをどんなタイ人が買うのか!」と絶句したが、ヤフオクですらまったく競られることのない現在の日本では、もしかしたら「昭和レトロ」みたいなレッテルをつけられて生き延びていけるのだろうか。 ※PDF ブック版は、文庫版では掲載しきれなかった全コレクション322点を高解像で収録。 PDF フォーマットなので専用アプリ不要。スマホ、タブレット、デスクトップコンピュータまで、あらゆるデバイスで読み込みできます。画像は拡大可能なので、小さくてふだんは見えにくい木肌の優しさ、表情の愛らしさまで、たっぷりお楽しみください!

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  • 直販限定『SWINGING BANGKOK』(文庫・PDFセット)

    ¥3,850

    都築響一(文・編) 直販限定文庫・PDFセット:3500円+税 (文庫版:100ページ、PDFダウンロード版:画像数420点) ミニスカートのお嬢さんたち エルビス・プレスリー1967年のヒット「ミニスカートのお嬢さん」は、原題を「Long Legged Girl (With the Short Dress On)と言う。「ミニスカート・ドレスを着た長い脚のお嬢さん」を探してアメリカ中を走り回る、というたわいない歌だった。それはマリー・クワントのミニスカートやホットパンツがスウィンギング・ロンドンにあふれ、ツイッギーが日本でもファッション・アイコンとしてもてはやされた時代だった。 タイにハマり始めたのは1997年ごろで、ホテルのロビーで見ていた雑誌にお寺の地獄庭園の小さな写真が載っていたのを発見、驚愕してフロントのひとに「ここ、どこですか!」と聞いてすぐに行ってみたのが始まり。それから年に何度も通うようになって、4x5の大型カメラを抱えて田舎の地獄寺巡りに熱中していた。当時からバンコク随一の週末市場チャトゥチャック・ウィークエンド・マーケットでは、いまのように観光客向けのお土産品や格安衣料、雑貨などのほかに、得体の知れないジャンクを売る店がずいぶんあって、ホコリだらけの古書や雑誌を積み上げた古本屋が僕は大好きだった。 あるとき、よく通りかかる古本屋を覗いてみたら、棚の上のほうから吊り下げてあった、汚れたビニール袋に詰め込まれた雑誌の切り抜きが目についた。それははるか昔の、タイのお洒落雑誌のファッションページを切り抜いたスクラップだった。厚さにして10センチほど、あとで数えたら500枚以上あった。 そのときはどんな雑誌かもわからなかったが、幸い表紙の切り抜きもずいぶんあったので調べてみると、『Sakulthai』(サクルタイ สกลไทย)という、いわゆるグラフ雑誌だった。王室の話題から芸能界、セレブ、ライフスタイル、エンターテインメント、社会/時事ネタ などを幅広く扱う週刊誌で、1954年に創刊。タイでもっとも長い歴史を誇る雑誌だったが、残念ながら2016年に廃刊となっている。2010年代はタイも印刷メディアからネットメディアへの転換期で、たくさんの新聞・雑誌が休廃刊になったりネット配信に移行していったが、創刊62周年を迎える直前の2016年10月31日号で幕を下ろした『サクルタイ』は、その象徴的な存在でもあったようだ。いわゆるグラビア・ページのほかに、連載小説を読むのが楽しみだったのに、というような投稿も見つかった。ちなみに最終号となった第3237号は、折しも国民から敬愛されてきたプミポン国王(ラーマ9世)崩御というタイミングだったので、誌面でも国王の追悼大特集が掲載されたそう。 タイの仏暦は西暦に543を足した数字になる。表紙や写真キャプションの記述からすると、だいたい1960年代末から70年代前半にかけての切り抜きだった。鮮やかな色彩のテキスタイル、ミニスカート・ドレス、パンタロン・・・サイケデリック・ロックというよりむしろ和製グループサウンズが聞こえてきそうなファッション写真の背景に、豪華なホテルのロビーとか、なぜか農村の畦道みたいなロケーションまで組み合わされていて、懐かしさとエキゾチックな南洋異国情緒が混在して見飽きない。切り抜きの裏面にはハイソサエティの暮らし紹介ページや、とんでもなくデコラティブなヘアスタイルの美容院や美容学校広告ページもたくさんあり、こんな時代のバンコクに行ってみたかった・・・とウズウズしたりもする。 今回スキャン作業をしているうちに、いくつかの切り抜きにボールペンでマークがついているのに気がついて、そのたびに画像処理で消しているうちに考えたーー60年代末から70年代にかけての数年間、いったいだれが、どんな目的にこんな切り抜きを集めたのだろう。マークをつけたのは、もしかしたら気になったワンピースだったり髪型だったりしたのだろうか。そうすると持ち主は洋装店か美容院のマダムだったのかもしれない。あるいはすごくファッション好きな女の子とか。そのころ20歳だったとしても、いまでは70代後半か。どんなに楽しく弾けた青春を謳歌して、どんなオトナになっていったのだろう。 盛り盛りのヘアーに飾り立てられて、ただただ明るい彼女たちの笑顔。欧米人のモデルとはぜんぜんちがう、親しみやすいバランスのボディ。やけにゴージャスなインテリアと、眩しいくらいの日差しに包まれた屋外の情景。もうだれも覚えていないB級エンタメ映画みたいに、それはどこまでも空っぽで、だからこそ空っぽのかわいらしさといとしさを僕らに思い出させてくれる。 ※PDF ブック版は、文庫版では掲載しきれなかった全カット420点を高解像で収録。PDF フォーマットなので専用アプリ不要。スマホ、タブレット、デスクトップコンピュータまで、あらゆるデバイスで読み込みできます。画像は拡大可能なので、ディテールに没入してシックスティーズ・バンコクのグルーヴを体感してください!

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  • 『SWINGING BANGKOK』1960年代末〜70年代のタイ・ファッション・スクラップ(POCKET ROADSIDERS)

    ¥2,420

    都築響一(文・編) 文庫版:2200円+税 100ページ ミニスカートのお嬢さんたち エルビス・プレスリー1967年のヒット「ミニスカートのお嬢さん」は、原題を「Long Legged Girl (With the Short Dress On)と言う。「ミニスカート・ドレスを着た長い脚のお嬢さん」を探してアメリカ中を走り回る、というたわいない歌だった。それはマリー・クワントのミニスカートやホットパンツがスウィンギング・ロンドンにあふれ、ツイッギーが日本でもファッション・アイコンとしてもてはやされた時代だった。 タイにハマり始めたのは1997年ごろで、ホテルのロビーで見ていた雑誌にお寺の地獄庭園の小さな写真が載っていたのを発見、驚愕してフロントのひとに「ここ、どこですか!」と聞いてすぐに行ってみたのが始まり。それから年に何度も通うようになって、4x5の大型カメラを抱えて田舎の地獄寺巡りに熱中していた。当時からバンコク随一の週末市場チャトゥチャック・ウィークエンド・マーケットでは、いまのように観光客向けのお土産品や格安衣料、雑貨などのほかに、得体の知れないジャンクを売る店がずいぶんあって、ホコリだらけの古書や雑誌を積み上げた古本屋が僕は大好きだった。 あるとき、よく通りかかる古本屋を覗いてみたら、棚の上のほうから吊り下げてあった、汚れたビニール袋に詰め込まれた雑誌の切り抜きが目についた。それははるか昔の、タイのお洒落雑誌のファッションページを切り抜いたスクラップだった。厚さにして10センチほど、あとで数えたら500枚以上あった。 そのときはどんな雑誌かもわからなかったが、幸い表紙の切り抜きもずいぶんあったので調べてみると、『Sakulthai』(サクルタイ สกลไทย)という、いわゆるグラフ雑誌だった。王室の話題から芸能界、セレブ、ライフスタイル、エンターテインメント、社会/時事ネタ などを幅広く扱う週刊誌で、1954年に創刊。タイでもっとも長い歴史を誇る雑誌だったが、残念ながら2016年に廃刊となっている。2010年代はタイも印刷メディアからネットメディアへの転換期で、たくさんの新聞・雑誌が休廃刊になったりネット配信に移行していったが、創刊62周年を迎える直前の2016年10月31日号で幕を下ろした『サクルタイ』は、その象徴的な存在でもあったようだ。いわゆるグラビア・ページのほかに、連載小説を読むのが楽しみだったのに、というような投稿も見つかった。ちなみに最終号となった第3237号は、折しも国民から敬愛されてきたプミポン国王(ラーマ9世)崩御というタイミングだったので、誌面でも国王の追悼大特集が掲載されたそう。 タイの仏暦は西暦に543を足した数字になる。表紙や写真キャプションの記述からすると、だいたい1960年代末から70年代前半にかけての切り抜きだった。鮮やかな色彩のテキスタイル、ミニスカート・ドレス、パンタロン・・・サイケデリック・ロックというよりむしろ和製グループサウンズが聞こえてきそうなファッション写真の背景に、豪華なホテルのロビーとか、なぜか農村の畦道みたいなロケーションまで組み合わされていて、懐かしさとエキゾチックな南洋異国情緒が混在して見飽きない。切り抜きの裏面にはハイソサエティの暮らし紹介ページや、とんでもなくデコラティブなヘアスタイルの美容院や美容学校広告ページもたくさんあり、こんな時代のバンコクに行ってみたかった・・・とウズウズしたりもする。 今回スキャン作業をしているうちに、いくつかの切り抜きにボールペンでマークがついているのに気がついて、そのたびに画像処理で消しているうちに考えたーー60年代末から70年代にかけての数年間、いったいだれが、どんな目的にこんな切り抜きを集めたのだろう。マークをつけたのは、もしかしたら気になったワンピースだったり髪型だったりしたのだろうか。そうすると持ち主は洋装店か美容院のマダムだったのかもしれない。あるいはすごくファッション好きな女の子とか。そのころ20歳だったとしても、いまでは70代後半か。どんなに楽しく弾けた青春を謳歌して、どんなオトナになっていったのだろう。 盛り盛りのヘアーに飾り立てられて、ただただ明るい彼女たちの笑顔。欧米人のモデルとはぜんぜんちがう、親しみやすいバランスのボディ。やけにゴージャスなインテリアと、眩しいくらいの日差しに包まれた屋外の情景。もうだれも覚えていないB級エンタメ映画みたいに、それはどこまでも空っぽで、だからこそ空っぽのかわいらしさといとしさを僕らに思い出させてくれる。 ※PDF ブック版は、文庫版では掲載しきれなかった全カット420点を高解像で収録。PDF フォーマットなので専用アプリ不要。スマホ、タブレット、デスクトップコンピュータまで、あらゆるデバイスで読み込みできます。画像は拡大可能なので、ディテールに没入してシックスティーズ・バンコクのグルーヴを体感してください!

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  • 新開のり子鉛筆画集『フィロソファー・オブ・ザ・ワールド』(POCKET ROADSIDERS)

    ¥1,650

     「勤め先で受けてるイジメや人間関係のゴタゴタを絵にしたら少しは気晴らしになるかと」思いついて、「すいません、すいません」が口ぐせの彼女は、きょうも勤めから帰ると自室の机に向かって鉛筆を削り、画用紙に向かう。描き込まれた鉛筆の線のあいだから滲み出る、なんともいえない対象への愛情や慈しみの感覚。丹念な部分と適当に描いた部分のすさまじい落差。楽天的で、ときに脳天気とすら言いたくなる画風の底に淀む微かな不穏の兆し——地元の公会堂で週末に演奏するたび暴動が起きたという伝説を持つ、あのシャグズの「フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド」が画用紙に仕込まれたスピーカーで鳴っているような。  鉛筆画一本 僕のこころに  青い空を かくときも  真っ赤な夕焼 かくときも  黒い頭のとんがった 鉛筆が一本だけ  1969年に坂本九はそう歌った(作詞・浜口庫之助)。新開のり子の初画集「フィロソファー・オブ・ザ・ワールド」。これは鉛筆という松明を頼りにこころの奥の暗い場所に潜っていく、彼女のダーク・ツーリズムの記録である。 都築響一

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  • シブヤメグミ『懺悔の値打ちもない』(POCKET ROADSIDERS)

    ¥1,650

     新宿の片隅で秘密めいたバーを経営するシブヤメグミは「嵐を呼ぶ女」だ。ホストにホームレス、ミュージシャン、弁当屋のおやじにAV映画監督・・・・・・「このひとはいったいどうやってこんなに突拍子もない人間たちと出会って、いきなり親しくなってしまうんだろう」という積年の疑問が嵩じて、メールマガジンで「シブメグの人生小劇場」という連載をしてもらっているが、どんなすごいひとよりもすごい体験を、自分がずっと抱えたまま生きていることを最近知った。  実の母親が巻き込まれしゃぶり尽くされ食いちぎられた、どうしようもなく圧倒的に獣のような男の欲望人生を、餌食となった女たちがいま語り出す。読んでつまらないから三文小説と言うけれど、どんなに想像力が枯渇した小説家でも躊躇するような展開が現実に起こってしまうと、その圧倒的なリアリティに僕らは立ちすくむしかないのだった。 都築響一

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  • 小指『宇宙人の部屋』 (POCKET ROADSIDERS)

    ¥1,650

     わたしが恋したひと、一緒に起きて寝て人生を共にしてきた男はふたりの宇宙人だった。空の上にある無限の暗闇ではなくて、酒瓶の底にある淀んだ宇宙の住人だった。素面だと道端の老犬のように静かに優しいのに、一滴のアルコールで彼らは制御不能な獣に変身した。そして20代のほとんどを獣の世話に明け暮れたわたしも、酒に依存する人間に依存しながら、状況を好転させるどころか彼らの人生をよけい悪化させているだけなことに、ある日気づいてしまった。  アーティスト“小指”がいま初めて綴る、傷だらけの日々の記録。生きることに不器用な、3つの魂がひとかたまりになって坂を転げ落ちていく先に底はあるだろうか。明るい陽の差す出口は見えるだろうか。

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